同じ道
ここ数年の中国の様子を見聞きするにつけ、私には、戦前戦後を問わず、かつての日本と多くの面で重なって見えます。
戦前の日本の、国内経済の疲弊を打破すべく行われた大陸への進出と、国内だけでは賄えず、外に出て行かざるを得ない現在の中国の、周辺諸国との軋轢。
他民族を貶め、自らの優位を主張する態度。
個人レベルにおいても、経済力を背景にした傍若無人な態度。例えば、札束を握り締めての買い物ツアーです。それを「下品だな」と眺めている日本人も、かつて同じことをしていました。
しかし、“キャンサーキャピタリズム”、たんに順番で自分たちに機会が巡ってきただけで、それはいずれ失われるのだということを現在の中国の人たちに説いても無駄でしょう。バブルに浮かれていた当時の日本を思い出せば、それは明らかです。
かつて来た道、いずれ行く道。
その一方で、すべての日本人がバブルに踊ったわけではありませんし、これは想像ですが、すべての中国人が純粋に日本を嫌っているのでもないと思います。
当局がデモを抑えにかかったのも、その主張の中に経済的格差や政治の腐敗を糾弾するものが多く見られるからだとも言われます。
そして、中国の経済は日本を含む外資の存在なくしては成り立たず、同時に、日本も中国の存在を必要としています。
中国共産党が、一党独裁を維持するために、戦後の日本で与党であり続けた自由民主党の政治手法を研究していたことは有名です。であるならば、経済の発展を国是とする現在の中国は、日本の戦後の高度経済成長と、その行き着いた先のバブル崩壊も研究しているはずです。
経験と知恵。アドバンテージは日本にあると、私は思います。