老婆心

就職活動に失敗したことを理由に自殺する若者が増えているというニュースを知り、僭越ながら一筆したためます。

社会人と学生の大きな違いは、“好き嫌い”が人間関係に反映する度合いです。

学生なら、嫌いな相手と距離を置くことができます。しかし、社会人は相手を選べません。そこにあるのは個人の付き合いではなく、“立場”の付き合いだからです。誰も、私という個人を、アナタという個人を見てはいません。

それは理不尽なことです。何より、「世の中なんてそういうもの」というシニカルな空気を生むという点で。

一方で、それは思いがけない出会いを生みます。人間一人の価値観や発想なんて知れたもの。そんなものを吹き飛ばして、世の中には色々な人がいます。驚き、呆れ、憤り、笑うほど。

私は声を大にして言いたい。人の生き方というものは、本当に千差万別、これがスタンダードというものなどないのです。何歳までにこうして、この年齢ではこうあるべき。そんな基準などないのです。

何年か前、あるテレビ局で、視聴率を上げるための不正な工作があり、内部調査の結果、「特定の誰がということではなく、視聴率を取らなければという空気が原因」という説明がなされました。それを聞いて納得した人はいないでしょう。

これと同じです。「こうしなければならない」などという強迫観念は馬鹿げたものなのです。

これは社会人として年齢を重ねなければできない考え方かもしれません。それこそ、私の一人よがりかもしれません。それでも、こういう考え方があるということだけは知っていてほしい。

経験的に、死の誘いが甘美であることは知っています。しかし、就職活動に失敗して、将来に絶望して選ぶ死には浪漫の欠片もありません。

騙されたと思って生きてみろ。騙し通してやる。