『ルパン三世』を語る2

「時代が追いついた」と評された『ルパン三世』は、セカンドシリーズが製作され、「わかりやすさ」を前面に出した作風で人気を博し、キャラクターの個性も浸透しました。

その中で作られた、宮崎駿監督の映画『ルパン三世 カリオストロの城』。それは、『ルパン三世』という作品の、第二の原作者の登場でした。

モンキー・パンチは、自身が監督を務めた『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』に関するインタビューで語っています。

「未だにあの人(宮崎駿)の影響は強いですね。物語の面白さもそうですが、その凄さは、僕とは違う『ルパン三世』を出した感じがします。僕の原作の場合は毒があって、女性に対する優しさはあるけれども、ああいう優しさはないんですね。わりとクール。それに対して宮崎さんは宮崎さん流のルパンを出した。ただ問題は「カリオストロの城」以後、作る人がみんな宮崎さんに引っ張られている。だからル パンが優しく優しくなって、女の子が倒れたら手を貸して起こしてあげるようなルパンばかりで、もういい加減にしてくれと言いたくなる。

本来のルパンはそうじゃないんだからと。あれは宮崎さん流のルパンであって、それは宮崎さんにしか描けないもの、宮崎さんの優しさが出たものでしょうが、僕はそうではなくて、女性が転んでもそれに手を貸して起こしてあげるルパンではないんだということを今回は出していますね。

違いを出そうというよりも、僕が原作で考えたそのままのルパンを出したい。絵コンテを見ても、本当にルパンが優しいんだよね。もういいかげんやんなっちゃうの。だからね、今回は絵コンテマンと喧嘩状態でしたよ。

例えば『爆発が起きたらルパンは女性を抱いて逃げる』というシーン。こんなのはいらない、女性をほっぽりだしても自分は逃げると。そういう冷たさみたいなものをルパンはもっているのだ、と。戦うときも女の子をかばって戦うなんてしないでいい、と。

ハードボイルドタッチを全面に出したい。それとゲーム的な面白さを出したいと思っています。でも思い通りに出来ているかどうかは、僕自身も心配なところがあるんです。やっぱり初めて監督をやって嫌というほど分かったけど、映画作りは共同作業なんですよね。要するに僕の場合は漫画を描いて、『ルパン三世』だけでも30年になるわけだから、とにかく漫画の面白さを出したいわけです。でも演出からするとそれでは駄目で、つまり漫画の面白さではなく映画の面白さを出すべきだと言う。僕はそうじゃなくて、映画の面白さは十分主張しているわけだから、それ以上 に漫画の面白さを出したい。だから上がってきた絵コンテを僕が直すと、これでは映画にならないとクレームがつく。僕は映画にならなくていい、漫画にしようと言う。だからフィルムをつなぎ合わせでどういうのが出来上がるのか、半分は楽しみでもあるけど、半分は不安。果して漫画の面白さが出ているかなっていうね。そうかと言って喧嘩ばかりしていたら、現場の人だって嫌気がさしてやめたってなったら困るし、そのへんが難しいですね。

要するに漫画と映画の大きな違いは、漫画の場合は分からなかったら読み直すことが出来るけど、映画はそれが出来ないこと。見ていて途中で分からなくなってもそのまま見続けざるを得ないから、それを分かりやすくしないといけない。そうすると僕の漫画の良さが出なくなってくる。ある程度の分かりずらさは僕の漫画の個性、特長でもあるわけだから、分かりずらいところは見た人が判断してくれればいいと思うんだけど、それでは映画にならないと言われる。例えば「2001年宇宙の旅」のストーリーが全部分かるかって聞くの。分からないところがあるから何回見ても面白いので、そういう映画もあるとね。でも、それでは見る側に不親切だとかいうことで、意見が全然違うんだ。結構分かりにくいところもあるから、そういう意味ではシリーズの中に新風は吹き込んでいると思います。それとゲームの要素がものすごく楽しめますよ。

宮崎駿のルパン像を)もちろん否定していません。あれは宮崎さんにしか出せないものですからね。料理で言えば五人のキャラクターは素材で、その素材だけ変わらなければどう料理しても構いませんよと預けた形ですから。だからそれは宮崎さんしか出来ないのに、他の演出家が自分の好みではないのにやろうとしているから無理がある。その人が持っている個性で動かしてくれればいいんだけど、宮崎さんのに引きずられている」

漫画とアニメという、親和性の高いと思われる両者の近くて遠い距離。それを意識し、自身のアイデンティティの根本に据えて揺るがないモンキー・パンチ

そして、原作者でさえ自分が生み出したキャラクターを自由に動かせないという環境。原作者が他人から「それはルパン三世じゃない」と言われる状況。

モンキー・パンチの『ルパン三世』が、製作会社の『ルパン三世』になってしまった中での孤軍奮闘も虚しく、従来のルパン三世像を覆すにはいたらず、その後も作られ続ける『ルパン三世』は、まるで『DEAD OR ALIVE』がなかったかのように元に戻りました。