『たんば色の覚書』

“黙契”

大辞林では「暗黙のうちに互いの意志が一致すること。また、そうしてできた約束」と書いていますが、辺見庸は次のように定義します。

「黙契とは、念書や契約書によって取りかわされたわけではない暗黙の了解のこと。禁忌には絶対触れないという制度。私たちの(フィクションとしての)日常が保証されるのは、黙契があるから」(大雑把に約しています)

その黙契を黙契と認識せず、当たり前の不文律としか思わないなら、それは自己の放棄です。

世の中には「それが世間の常識」とされる、明文化されていない事柄が数多くあります。そこでは「何故そうするのか」という問いは許されません。

しかし、口には出さなくとも、心の内で問いましょう。そうしなければ、一つ前の記事で書いた“人間の基本”も何もあったものではありません。

埴谷雄高は、著書の『死霊』の中で、大略「自分とは何なのか、という問いとは逆。何を以って自分とするのか、と問うべき」と書いています。

さて、問題です。私とは何でしょう。アナタとは何でしょう。