八百長がどうした

大相撲の八百長は、私が子供の頃から言われていました。7勝7敗で千秋楽を迎えたカド番の大関が負けた姿は見たことがありません。ある取り組みで、立ち合い、四つに組んだ状態から、その大関の対戦相手が(組んだ状態のまま)自分から後ろ向きに歩いて土俵の外に出た様子は、今でも覚えています。ちなみに、決まり手は“寄り切り”。

今になって得々と語るな。

他人が声を上げてからでないと言えない意見なら、言うな。

世の中は、八百長に満ち満ちています。

何よりも、政治。昨日と今日で言っていることが違っても、面の皮。

企業も、そこで働く私たちも、同様です。義理、付き合い、縁故。取引先の担当者の好き嫌い。商品の正当な評価や価値は二の次です。

もちろん、大相撲において、八百長はあってはいけません。しかし、ここまで扇情的に、ヒステリックに騒ぐことではありません。批判すべきは批判しつつ、黙って飲み込む態度も必要ではないでしょうか? だって、それは社会の縮図以外の何ものでもないのです。逆に、受け手の心の余裕の無さが露呈しているようにすら思えます。

将来において、八百長が根絶できたと断言できる人は、実際に土俵に上がる力士以外にいません。メール等の証拠を残すことの無い、より巧妙なやり方が浸透して、そのやり取りが地下深く沈潜した場合、傍目には白熱した取り組みを、誰が八百長と指摘し、証明できますか?

今、相撲について憂い顔で語る人たちの内、何人が、一年後も変わらぬ情熱を持って相撲について語っているか。 まさか“卒業した”とは言わないでしょうね。