キャンサーキャピタリズム

新しい刺激を求め彷徨う大衆もまた、人の世という身体に巣食うガン細胞のようです。そうして熱狂的にもてはやされたモノは、次の“新しいもの”が現れた時、“新しさ”以外に勝負できる要素を持っていなければ、淘汰されます。

これもまた、小幡績が『すべての経済はバブルに通じる』で唱えた“キャンサーキャピタリズム”の、一つの変態です。

「SRC.17」の中止が報じられました。カードの変更ではなく“中止”です。いくつもの企業、大勢の人々が関わるイベントが中止になることの意味は重いです。

もう何年も前に、大衆は、次の刺激を求めて格闘技イベントから去りました。ガンは、別の場所に転移しました。

好事魔多し。不幸の種は、幸福の絶頂時に蒔かれます。私見ですが、当ブログで何度か言及した、格闘技バブルが絶頂を迎えた「曙VSボブ・サップ」が、皮肉にも、そのきっかけでした。

あのお祭り騒ぎ以降、主催者は、その代替カードを探し求め続けて現在に至ります。本物の魅力を持たない、ネームバリューという表層的なきらびやかさに吸い寄せられた大衆は、それ以上の刺激を与えてくれない格闘技に留まる理由がありませんでした。

時代は廻り、歴史は繰返すなら、格闘技が再び新しい刺激として認知されて、ガンが再び転移して来るのを、細々と命を繋いで待つのも、一つの方法です。

しかし、私は、格闘技が、“新しさ”以外に勝負できる要素を持っていると信じます。

極端にデフォルメした表現をすれば、格闘技は“殴りっこ蹴りっこ”です。それが、バブルを生み、人々を熱狂させたことには意味があると思います。

テレビの視聴率が全体的に落ち込み、あのプロ野球ジャイアンツ戦でさえ、放送されなくなりました。もう、テレビの視聴率に一喜一憂するビジネスモデルを捨て去る時期に来ているのだと思います。思い返せば、新生UWFはテレビ放送が無いことを逆手に取って成功しました。

死中に活あり。ピンチの後にチャンスあり。

私が本当の格闘技ファンか、否か。これから試されるような気がします。

※『すべての経済はバブルに通じる』とキャンサーキャピタリズムについては、以前、簡単な感想を書きました。ご参照ください。

http://d.hatena.ne.jp/ocelot2009/20100131/1264908682