言霊が消えた日

これは、細川連立内閣の成立と自民党の下野から始まる話ですが、今回は、それについては一まず措きます。

野党の屈辱を味わった自民党は、釣り針に“総理大臣の椅子”という餌をつけました。食いついたのは、社会党。自社さ(自民党社会党新党さきがけ連立政権が生まれ、社会党委員長の村山富市が総理大臣になりました。

「何でも反対、社会党」と揶揄された社会党は、自分たちの政治理念を胃袋から吐き出し、代わりに、総理大臣の椅子という“餌”を飲み込みました。

数々の疑獄事件やスキャンダルによって政治不信が叫ばれ、選挙の投票率の低下や、有権者の政治離れが危惧されてきましたが、これは、それ以上の茶番でした。政治家が何を言おうと、美辞麗句を並べようと、それは、票を得るため、権力を握るための方便に過ぎないことを、政治家自らが宣言したに等しいものでした。

この無力感。

現在も続く政治の、数合わせの離合集散の右往左往の根本は、政治家一人ひとりの、人としての信頼の問題です。