距離感
数日前。所謂“不良”と呼ばれる過去を持つ、ある格闘技選手へのインタビューを基にしたコラム記事を読み、そのURLを貼って、「これほど酷い提灯記事は見たことがない。金のためなら媚びも売るか」「彼らには、彼らの暴力によって傷つけられ、心を蹂躙された人たちへの視線が欠けている」と書きました。そして、具体的に個人名を出して、もう少し踏み込んだことを記しました。
しかし、アップした記事を自身で再読して、すぐに削除しました。その記事の全文をご覧になった方もいるでしょうし、その残滓がネット上に残ってもいます。
何故、削除したのか。
その選手のリングでの振舞いや、それに関連した言動であれば、例え批判であっても躊躇するものではありません。しかし、その選手のプライベートな領域のことである場合、それが私の価値基準に合わないからといって、個人のブログとはいえ、個人名を出して批判して良いものではありません。
アップしてから気付いて削除するというドタバタ。自分のネットリテラシーの無さに、自分で呆れ返ります。
今回、私は対象との距離感を見誤りました。
この(今ご覧いただいている)記事は、きわめて個人的なものです。自分の頭の中で整理するに留め、わざわざブログに書く必要はありません。それでも書いたのは、ブログで露呈した自身の情けなさを、そのブログできちんと記しておかなければ、自分の立ち位置を規定できないからです。
ここ数日、悶々としていました。記事を書いて更新することもできないくらいに。
書くという行為は、怖いものです。