テレビCM

まだ『これからの「正義」の話をしよう』を引きずりますが、哲学を含むあらゆる学問は、実社会にフィードバックされて、初めて価値があります。同様に、どんな素晴らしい料理を作っても、食べてくれる人がいなくては、そこに価値はありません。

格闘技もまた、同じです。どんなに技術的レベルの高い試合、どんなに戦う選手の気迫が溢れる試合を繰り広げても、観てくれる人がいなければ、そこに価値はありません。「いや、観てくれる人がいなくても、戦う二人には価値がある」というなら、何も莫大な経費をかけて大きな会場で行う必要はありません。どうぞ、道場でひっそりやってください。それでも価値は変らないのでしょう? ということになります。

インターネットの普及が云々、テレビの視聴率の低下と、それに伴うスポンサー料の減少が云々という話を目にします。しかし、この場合は格闘技に限定しますが、やはりテレビの影響はインターネットより大きいと言えます。

よりきめ細かい情報を、それを欲する人たちに届けるなら、ネットの方に強みがあります。しかし、知りたい情報に(検索やクリックという作業をして)アクセスしようとするのは、上記の通り、それを欲する人たちだけです。

そうではない大多数の人たちに情報を届けるには、テレビの力の方が圧倒的です。格闘技とは無縁の番組を見ている、格闘技に興味の無い人たちの目に、格闘技を映らせる。そう、テレビCMです。

そのCMが扱う商品の内容は、この際問いません。選り好みをしている余裕はありません。大事なのはただ二点、出演する選手が格闘技の選手であるということを内容に織り込むことと、その選手を格好良く映すということ。ギャラも最低限に抑えます。それで駄々をこねるような選手に用はありません。去ってくれて結構。

かつて、K-1が隆盛を誇った頃。ピーター・アーツアンディ・フグが即席ラーメンのCMに出演しました。私は、それを嬉しく思うと同時に、拙い日本語で駄洒落を連呼する内容に寂しくもなりました。

一方で、アーネスト・ホーストは、やはり缶コーヒー“BOSS”のCMに出演しました。それは捻りの効いた内容とともに、K-1という“競技”のリングに立つホーストの、視聴者とは違う世界に生きる超人としての迫力と厳しさを感じさせるものでした。

FEGは今こそ、その政治力をフルに活用して、選手をたくさんのテレビCMに出演させるべきです。現在は軽い階級に日本人選手を多く擁しており、タレントは豊富です。大会を海外で開催して「グローバル化」などと誤魔化している暇はありません。日本でしっかりとした地盤を作らずに、どうして海外進出などできますか?