もっと強く

プロボクサー、WBA世界スーパーフェザー級チャンピオンの内山高志を扱ったドキュメンタリー番組を見ました。

苦しい練習にも、「これで少しでも強くなれるならあり難い」と嬉しそうに浮かべる笑顔。ジムにチケットを申し込んでくれた人たちに、自ら自筆で礼状を書く真剣な表情。内山の謙虚さと誠実さに好印象を持ちました。

五年前。長い闘病生活の末に話すことも難しくなった父親を見舞った内山。不思議なことに、その時、十秒ほど目を開いて内山を見つめた父親は、試合を間近に控えた息子に「試合、頑張れよ」と声をかけ、すぐまた眠りにつきました。そして、その夜に亡くなりました。父親の愛情とは、斯くも大きく深いもの。その、父親の最後の言葉を胸に、彼は闘っています。

奇しくも、雑誌「Number」の最新号で、青木真也が、大略「ファンの存在は忖度しない。練習して強くなり、試合に勝つことが自分の仕事」と語っていました。しかし、私が見ていた限り、彼はヒーローになりたがっていました。主人公になりたがっていました。それが無理とわかって、自分に言い訳をしているのだと、私は見ます。

自分の中の何がしかを投影して、見る。それがスポーツの中でも、特に格闘技を見る醍醐味です。

他者を視界の外に置き、狭い世界で完結している選手。他者がいる有難みに感謝し、ともに戦おうとする選手。本人にとって幸せなのは、どちらか。ファンにとって幸せなのは、どちらか。

試合は、明日です。



上記の番組はNHKで放送されました。試合はテレビ東京で放送されます。日曜の午前、テレ東よりもNHKの方がチャンネルを合わせる人が多いかもしれず、より宣伝効果があるのかもしれませんが、どうにもちぐはぐです。

私自身、この番組を見なければ、内山の個性にまで踏み込んだ観戦はできなかったと思います。大衆という視聴者に選手の物語を届ける大切さを実感しました。ボクシング協会、ジム、選手。雑誌にテレビ、インターネット。あらゆる関係者が一致団結して、その努力をすべきです。

青木の発想では、その試合は、強いか弱いか、勝ったか負けたかでしかなく、格闘もののテレビゲームと大差ありません。技術は、コントローラーのボタンを巧みに押す操作と同列になってしまいます。

良い商品を作ったら、その素晴らしさをアピールしなくては、意味がありません。私も視聴者、あるいは消費者として、アンテナの精度を上げる努力を怠らないようにしようと、あらためて考えました。