四季

アントニオ猪木を特集したある雑誌に、前田日明のインタビューが掲載されています。それを読んで、一言物申したくなりました。

「自分はアントニオ猪木を批判してはいない。猪木の耳に痛いことを言っているだけ。それは、昔と今で、言っていることもやっていることも違う猪木に原因がある」と言っていますが、いい大人が親の悪口を言うのはみっともない。良い面も悪い面も含めてのアントニオ猪木。それを丸ごと受け止められない自分の器の小ささを恥じるべきです。また、何かを語る時、アントニオ猪木の名前を出してしまうのは、未だに猪木に依存しているということです。

「当時、UWFもプロレスという人がいたが、自分はその頃からUWFはプロレスと言ってきた」そうですが、新生UWFは、既存のプロレスを否定することで自らを規定していました。“真剣勝負のプロレス”という夢(あえて幻想とは言いません)をファンに与えていました。当時と現在では、プロレスに対する視線、理解度が違います。プロレスの本質云々と言ったところで、それは言葉遊びの域を出ません。今になって……。

「リングス時代、ある選手に制裁を加えた様子がインターネット上に流れているが、自分が若手時代は当たり前のこと」だったにしても、やるなら素手でやるべきでしょう。愛情からの行為だと言うなら、人を殴った痛みを、その拳に引き受けるべきです。パイプ椅子という道具を使う必要はないはずです。

人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬、四つの季節になぞらえなれます。

いつまでも“青春”に片足を突っ込んでいるのは如何なものでしょう。ある時期からは、それは心の引き出しにしまっておくべきものではないでしょうか。

年齢的に、私がそのプロレスラーとしての歩みをリアルタイムで見てきたのは、アントニオ猪木ではなく、前田日明です。その前田にいまいち乗れないのは、その弱さが等身大であるからかもしれません。もう良いだろう、前田。猪木=父親から自由になって良い年齢です。