本屋の思い出

大学生の時。玉川高島屋紀伊国屋書店にて。

二子玉川は(比較的)高級住宅地とされており、そこにある高島屋に並ぶ商品も、品質とともに価格も抜群で、一人暮らしの学生の私は、本とCD以外に買い物をしたことはありませんでした。

そんなデパートの中の本屋で聞いたのは、中学生くらいと思われる少年の、母親を呼ぶ声。元気よく店内に響きました。

「母上ー、母上ー」と。

私だけでなく、他の客、従業員。その場にいた全員がびっくりして顔を上げました。実感として、店内の空間が一つにまとまって身動ぎしたようでした。全員が目を見開き、口をぽかんと開けているような雰囲気。

その少年にとって、「母上」という言葉は日常的で、ごくごく当たり前のものなのでしょう。その声には照れも韜晦もありませんでした。

後にも先にも、母親を「母上」と呼ぶ人を見たのは(正確には、この時は声を聞いただけで、姿は見ていませんが)この時だけです。

日本には、日本人としてこの国に暮らす私が知らない世界、生活様式があるのだと、しみじみ思い知りました。私が知っていることが、この世のすべてではない。私の周囲の人間関係だけが、世界のすべてではない。そんな諦念を持ちました。

想像力。それも、ニュートラルな視点からの想像力。逆説的ですが、それは周囲に溢れる根拠曖昧な、多分に気分的な言説、ニュースに惑わされない強さがあって、初めて持てるものです。

その少年は、本人のあずかり知らないところで、この場合、私という一人の人間に強い影響を与えました。

当ブログにて私が書いていることは、あくまで自己満足のための駄文です。それでも、読んでくださっている方の心に、僅かな小波でも立てられたら、と願いながら書いています。

※その少年には申し訳ないのですが、時々、楽しい笑い話として話題にしています。聞いた人は、誰もが楽しそうに幸せそうに笑顔になります。ごめんね。