認識者=悪の断罪
(前略)
佐伯:本多を若返らせたかたちで、透という認識者を悪と規定して、これを破滅させ、そこで強引に論理的な結末をつけようとしたということなのかもしれないね。
村松:(大略)盲になってから以後の透は認識者ではあり得ないわけでしょう。盲になった認識者は行動者として生きるほかない。眼がないんだから、異様な行動者かもしれないけれど。
佐伯:官能的に行動者たる道はあるわけだ。まあ『春琴抄』みたいにね。しかし、(中略)三島さんでは絶対そうはならないね。
(中略)
村松:現実の情勢が、もし最初の規定通りに七〇年安保騒動があったら、彼は認識者の沼の中を突破する一人の青年の姿を書いたかもしれない。これはわかりませんよ。こういう仮定は実に無意味なんだけど、ぼくにはやっぱり三島さんがそれを考えていたという気がするな。だからこそ小説の構想をまるで変えなきゃいけなくなったといっていたんじゃないか。
この作品に文学的評価を下すにはまだ早いかも知れないけれど、日本文学史上非常に特異な作品で、三島由紀夫のバイヨンとしてやはり残るものだと思う。題名どおり、不毛な月面に咲かせた「豊饒」として。
佐伯:それは間違いないでしょう。