書き急いだ『天人五衰』
村松:その『天人五衰』ですがね、それ以前の三巻は、平均して連載の期間が十九ヶ月くらいあるんですよ。ところが最後の巻だけは七ヶ月、そういうあわただしい息づかいが、やはり何らかの形でこの作品の中に入り込んでいるんじゃないかという気がする。
(中略)
村松:時間的にいうと、最終的にいつ切腹をするかということを決めたのは、八月に『天人五衰』の最終章を書き上げたときらしい。ほかの部分をとび越えて最終章を書き上げて、それから後は、最終章までの話を埋めていく操作になったわけです。死を半年先にして小説を書き続ける精神力の強さはたいへんなものだと思う。しかしいまいったような意味でのいらだたしさがやはりあるように思えてね。読んでいて非常につらいんだ。
佐伯:つらいね。しかしいちばん最後の月修寺の場面の描写、これはまたあそこへきて小説的リズムを取り戻した感じがあってね、あそこでは小説的時間が流れている。
(中略)
村松:あの最後の、すべて幻であったのではないかということ。その幻であったのではないかというところで、もう一ぺん最初に戻っていいわけだね。幻だとしても、それにもかかわらずそれに対して反抗するのだという。いわば「シジフォスの神話」的な……。
佐伯:永遠の循環みたいな。
村松:永遠回帰だね。すべてが虚しくなったところから出発を繰返す。あのすべてが幻かも知れないという最終章を書きあげて、それから三島さんは市ヶ谷に行った。
佐伯:結果論だけど、これが三島文学の必然的帰結ということか……。