大長編の構想

村松:大長編を書くということを三島さんから最初に聞いたのは、昭和三十八年なんだけれどね。後で本人が書いているのを見ると、じつは昭和三十五年頃から計画していたらしい。さらに着想そのものは日記をひっくり返したら、昭和二十五年くらいにすでにあったので自分で驚いている、と彼はいっている。

佐伯:三十五年頃というと、安保の年だね。

村松:うん。ただ、その中身が具体的に熟してくるのは、三十九年くらいだろう。というのは、『浜松中納言物語』のほぼ完全な復刻版が新しく岩波から出て、それに非常に刺激をうけた。自分でもそう書いていますよね。第一巻の構成は『浜松中納言物語』によく似ている。構想ができ上がった時は非常にうれしかったと見えて、今度の小説の構想が決まったから聞けといってね。第一巻は明治の末から大正にかけての恋愛物語、第二巻は昭和の右翼で、神風連的な男が主人公、第三巻はタイの王女様で、第二巻の主人公が北一輝の息子なんだが、彼がシンガポールへ逃げ、そこで三巻目のタイの王女と会うのだ、という話をしていた。

佐伯:そこは変ってきたわけだね。

村松:そう。第四巻は? と聞いたら、これは未来なんだ。七〇年安保の後なんだよ、といっていた。転生物語でね、当人たちは自分が転生していることは知らないんだけど、まわりの人間はみんな知っているんだよという。それを聞いてぼくは、転生物語というのを現代に書く場合、一体どうやって現代人の常識を納得させるのだろうかと、最初に思ってね、そこをどうするつもりだと尋ねたことがある。彼は黙っていました。

佐伯:『春の雪』は出るとすぐ読んだおぼえがあるんだけど、あの時やっぱり転生という主題ね、これは十九世紀小説というか、ヨーロッパ小説に対する一種の根本的挑戦を企てたという気がしたね。なんといっても個人の動きが中心で小説ジャンルというものはずっときたわけだけど、それとは違ったことをおれはやってみせる、小説あるいは文学の本当の中核というものはむしろ個人を越えたところに在るんだ、ということを云おうとした。だから大袈裟にいうと、東洋側からの西洋に対する一大挑戦というのかな。

村松:それは感じたね。それともう一つは、転生と聞いた時に、すぐ思い出したのは『金閣寺』の中の言葉なんだ。戦争が終って、平和がきて、退屈な仏教的時間が始まった、と『金閣寺』の主人公がいっている。仏教的とここでいうのは……。

佐伯:えんえんと続く永劫のほとんどの時間。

村松:えんえんとして続くものだろうな。そういう時間に対する絶えまない挑戦、仏教をもってする仏教への挑戦と言い換えてもいいんだけど、そういう意図を片っ方で感じた。

佐伯:本気で仏教というものを考え出したのは何かきっかけがあるのかしらね。

村松:子供の時分からお経が好きだった。それと、<豊饒の海>を書く直前だったと思うんだけれど、神田の本屋で大蔵経を手に入れた。これは三十分遅れたら、他の人が買ってゆくところだったのだが、おかげで小説がすらすら書けた、といって非常に喜んでいたよ。

佐伯:仏教的因果だね。

村松:第四巻についてははじめはただ未来のことといっていたのが、途中から七〇年の安保でおれは斬り死にするんだという話に変ってきた。ところが『暁の寺』が完成した頃に、学生運動の峠がみえて、七〇年の安保騒動はないらしい、ということになった。これでは構想を変えなきゃならないということをしきりに云っていたことがある。