荒涼としたリング

先日、新日本プロレスの、Jr.ヘビー級の選手たちが勢揃いするリーグ戦の決勝戦のダイジェスト映像を集めた動画を観ました。

より高い位置から、より遠くへ、より急角度で。第一回から順に、大会を重ねるごとに繰り出される技がエスカレートしていく様が良く見えました。

これまでに無い危険な技に驚き、技を受けたレスラーがカウント2で返す様子に沸く。次はもっと危険な技を見せられなければ満足しない観客と、その欲求に応えようと身を削るプロレスラー。

サディズムマゾヒズム。レスラーと観客、双方の歪んだ欲望と無責任の行き着く先に、三沢光晴の死があったというのは言い過ぎでしょうか。

闘っている(はずの)者たちの共同作業による即物的な刺激に満ちたリングに、闘いの息吹は感じられませんでした。

人間は慣れるもの。刺激はエスカレートすることでしか、刺激足り得ません。より過激に、より危険に、より驚きに満ちた技を。レスラーの命を生け贄にすることで生き長らえようとするなら、プロレスがなくなって結構。私はそこまで破廉恥になりたくありません。