『新・雨月』を読んでいる

何年前だったでしょうか。福島県知事と山口県知事が“歴史的な”会談をしたという新聞記事を見ました。ともに交流の必要性を認識しながらも、まだまだ双方にわだかまりがあり、事はそうすんなりとは運ばない、という内容でした。

現在は過去の積み重ねの上に成り立っています。もっと言えば、私は(あなたは)過去から未来への長い長い時間の流れの一部、宇宙の地球の生物の人類の歴史の僅かな期間、現在を中心に過去の数十年と未来の数十年、合計してもたかだか百年足らずの時間を受け持っているに過ぎません。

そこで、先日記事に書いたアップルのCM、「クレイジーな人たちがいる」を思い出します。彼らを有形無形に支えているのは、彼らに想いを託した“クレイジーではない人たち”です。

さらに思い出します。やはり先日記事にした須藤元気は「世界はひとつ」と言います。

すべては繋がっている。その謙虚さを忘れずにいたい。

「雨晴れて月朦朧の夜」(雨月物語)を模して、「心地好く酔って気分朦朧の夜」。