終わりの始まり

「初防衛戦は甘くなかった。(中略)23戦目の初黒星。亀田は赤く腫れた血まみれの顔で、リング上から、四方の客席に向けて頭を下げた。本人が、完敗を悪びれずに受け止めていたのは、この試合の救いだ。ところが、試合後の亀田側控え室―。

『採点がおかしいやないか。オレを怒らしたらどないなるか覚えておけ。(JBC)の立会人を連れてこい』

日本ボクシングコミッション関係者が入室すると、品のないどなり声が、鉄製ドアの外側まで響き渡ってきた。明らかに、声の主は亀田の父でセコンド資格停止中の史郎氏。長男の奮闘に水を差した。後味が悪い試合になった。」

これは今朝の読売新聞に載った記事です。スポーツ新聞ならまだしも、一般紙の全国版にここまで書かれた事実は重く、示唆に富んでいます。

持ち上げるだけ持ち上げて、叩き落す。それがマスコミです。“亀田ブランド”の凋落が始まりました。

上記の史郎氏の怒りはどこから来たのか。私は氏と直接の面識がないので推測するだけですが、次の二点が思い浮かびます。

①純粋に興毅が勝ったと思った。

②この敗戦によって、“亀田ブランド”の神通力が今後通じなくなることを恐れた。

試合には負けたが、勝負には勝った。そう思えれば、まだ救いはあったのですが……。

弟の反則についての謝罪会見を一人で行い、先の内藤戦では敗者を称えるなど、「実は良いヤツ」というキャラクターが浸透しつつある興毅。彼を中心に、視聴者に「自分たちが応援してやらなければ」と思わせるような、「憎めない、やんちゃな三兄弟」という売り方にシフトする時期だと思います。

史郎氏には「北風と太陽」の寓話を思い出していただきたい。強面のキャラクターは、一時的にはウケても、最後にはそっぽを向かれるだけです。

負けてこそ学べることがたくさんあります。興毅がボクシングに対して腹をくくっているなら、ここから這い上がってくるでしょう。それがなければ、その程度の選手だったということです。

勝者がすべてを手にし、敗者がすべてを失う。その冷厳な事実があるからこそ、人はスポーツに熱狂するのです。そして、挫折を乗り越えた選手にこそ、共感とともに勇気を得て拍手を送るのです。