属さなくてはいけないの?

少し前なら“草食系男子”。最近では“歴女”やら“ママ鉄”やら。そんなに、自分が何者なのか、他人に定義してもらわなければ不安なの?

他人が用意した尺度(言葉)で自分を位置付けることで、社会と繋がっている安心感を持てるのでしょうか。社会というマトリクスで、数値として表現されることに喜びを感じるのでしょうか。

他人と同じであることに不快感を持つのが当然と思っていましたので、理解の取っ掛かりすらありません。

個性というものは、他人と違う奇抜な言動をすれば与えられるものではありません。周囲を見渡してみれば、真に個性的な人など(自分自身を含めて)そうはいません。

その中で、“自分にはこれがある”という手応えを支えに生きていくもの、その手応えを自分の心の中に作る努力をするものと考えていました。それは他人に評価してもらう類のものではないと思っていたのですが。

邪推するなら、メディアでカテゴライズされ取り上げられる現象の真似をすることで、何かいっぱしの人間になった気分になって胸を張れるのでしょうか。

疑問形でしか書けません。しかし、答えの一端が大藪春彦の創造した『野獣死すべし』の主人公、伊達邦彦にあるとの確信があります。これはずっと考え続けたいことです。