朝青龍の背中の向こう

先日読んだ『格差ゲームの時代』でも取り上げられていた大相撲の横綱朝青龍。これまで何度も不祥事を起こしては厳重注意やペナルティを受けてきました。

朝青龍貴乃花と入れ替わる形で横綱になりました。もう一人、武蔵丸横綱として活躍していましたが、人気や華という点では貴乃花に遠く及ばず、同じ年の秋には引退しました。

相撲協会にとって、横綱がいない大相撲など決して許されるものではなかったのでしょう。とにかく、武蔵丸の他にもう一人、横綱が欲しかった。そして、実力からいってそれは朝青龍しかいない。だからこそ、品格と人格が抜群“ではない”、はっきり言えば問題がある朝青龍横綱にしたのでしょう。わざわざ「横綱は品格と人格を求められるから、そこのところをきちんとするように」という注釈付きで。

相撲協会は、朝青龍が、横綱になれば自覚もできて変わるだろうと踏んでいた節があります。また、自分たちがこの問題児をコントロールできるとたかを括っていたようでもあります。しかし、武蔵丸が引退して一人横綱の状態になった時、力関係が逆転しました。どんなにトラブルを起こしても、相撲協会朝青龍を排除することができません。それは土俵に横綱がいないという、どんなことがあっても避けたい状況を自分たちで作ることになるからです。

そして、長く続いたその状況に変化が起きました。白鵬横綱になりました。姿形も涼やかで迫力があり、品行方正、相撲の実力も申し分ありません。

身も蓋もない言い方をすれば、朝青龍は「要らない子」になってしまいました。白鵬横綱になってからの相撲協会及びマスコミの手のひら返しは滑稽ですらあります。

今回は一般男性への暴力行為及び協会への虚偽報告ということで、相撲協会横綱審議委員会及びマスコミの態度もやけにテンションが高くなっています。もちろん朝青龍の行為は許されないものですが、その朝青龍を自分たちの都合に合わせて良いように扱ってきたことを省みたならば、もう少し違った論調があってしかるべきです。

横綱の存在価値、その品格を汚しているのは誰なのか。朝青龍自身も含めて、関係者は胸に手を当てて考えるべきです。