第一回山本周五郎賞選考会4

<野坂>僕は二点です。この本の帯で、これはビルドゥングス・ロマンだと言っているけれども、主人公がテロリストに成長していく上で、どうも僕は説得されなかった。彼が死人の目をもつ人物になり、実際に死んでしまうと今度は柔らかい顔になったという、そういうことがまことにご都合主義で、こう書いておけばこれでいいだろうと作者は思っている、そんな気がしたんです。

それから、アフリカの事情についてのあまりの情報の多さに作者は引っ張り回されたというか、そっちの方ばかりにぎやかで、そこに出てくる人物が類型的である。冒険小説の場合、人物が類型的であるのは当然なんで、別段それを欠点として特にあげつらいはしませんが、僕には主人公の顔が全然浮かんでこなかった。ボスの隠岐浩蔵にしても、なんでもよく知っていると主人公は一人で怯えているけれど、読者としての僕は、あのボスがどういう形であれだけの情報量を持っているのか、よく分からなかった。

それに、日本の海外進出企業なら進出企業、あるいは商社、そうした経済侵略をやっている当事者のこともまったく書かれていない。この方面の実体も書かないと、ボスが主人公を雇う理由がないような気がしました。

それと、彼があんな格好でネバダかどこかへ行って、そこで戦闘訓練を受けてというふうなこと、これはたとえば、イギリスとかフランスとかドイツとか、そういったところであればしごく簡単に受け入れられるんだけれども、日本人がそこに入っていく上においては、相当うまい設定をしないと出来ないだろうと思う。船戸さんが困ったのもそこだと思うんですが、憲法第九条下の今の日本では非常に書きにくい。そこにあえて挑戦した意欲は買いますが、僕はこの手の小説を比較的多く読んでいるほうなので、『猛き箱舟』から特別の感銘は受けませんでした。

もう一つ、文章の上で、「そう、それは何々だ」という言い回しがしきりに出てくるんですね。それが彼の癖で、これが彼の文体だと言ってしまえばそれまででしょうが、そういう、一人で納得している部分にも僕はひっかかったんです。いちいち「そう」と言われると、なんだという感じがしましたね。