見たい、純粋に見たい

小沢一郎は一体何に怯えているのか? あの強面に隠された、薄皮一枚の下にあるのはどのような表情なのか、私は知りたい。

彼は何を見ているのか、何を考えているのか。その拙いセルフプロデュースに本人自身が苛立っている姿を見て、傲慢だと批判するのは容易いことです。

主に新聞の報道を見ても、彼がどのようなビジョンを持って、どのような危機感を持って、日本という国にどのような想いを持って、政治に臨んでいるのかを窺い知ることはできません。

棺を覆いて後に定まる、という言葉があります。人の評価は、その人が死んでから正しくされるもの、という意味です。個人はそれで良いかもしれませんが、他の多くの人々はその後も続く日常を生きていかなければなりません。

政治評論家のカレル・ヴァン・ウォルフレンはその著書の中で“アカウンタビリティ”という言葉を多く使います。日本語では“説明責任”と訳されます。漫画の『ジョジョの奇妙な冒険』の中に「納得がすべてに優先する。オレは納得したいだけだ」という台詞があります。

政治家が有権者に対して「言ってもしようがない」と考えるなら、それは有権者に対して諦めているのと同時に、自分自身が政治家であることを諦めていることでもあります。

小沢一郎はどこまで行っても田中角栄の腰巾着なのでしょうか。日中国交正常化を成し遂げた田中角栄の背中を今も追いかけているのでしょうか。

小沢一郎の、批判に対する反論ではない、彼自身の想いを込めた言葉を聞きたいと切に願います。