チャンドラーと村上春樹

『長いお別れ』が『ロング・グッドバイ』に、『さらば愛しき女よ』が『さよなら、愛しい人』になりました。

村上春樹の翻訳について、批判的な意見が多く目に付きます。
曰く、構文を理解していない誤訳だらけ。
曰く、スラングについて無知だ。
曰く、これはハードボイルドではない。
他にも言葉じりを捕まえて色々と。

ロング・グッドバイ』が発売された時、大沢在昌は「これでハードボイルドの認知度が上がるか疑問だ」と、原籙は「これはこれでありかと思う」とコメントしました。“俺たちの場所に他人がずかずか入り込んできて、尚且つ褒められている”という不快感が滲み出ています。ミステリーの中でもハードボイルドは特に、ファンが各々ジャンルについて一家言持っている傾向が強いようで、ネットで見かける批判もこの“気分”が露骨です。

さらに、村上春樹の翻訳を批判することが何やら当人のハードボイルドについての理解度や愛着度をアピールすることと同義になっているかのようで、文章も内容も粘着質な印象があります。

船戸与一は『レイモンド・チャンドラー読本』(早川書房)に「チャンドラーがハードボイルドを堕落させた」と題する文章を寄せています。その中で、チャンドラーの文章はアフォリズムと自己韜晦に特徴があり、それは(ハードボイルドの始祖と言われる)ダシール・ハメットが嫌ったものであり、チャンドラーの作品はエクスキューズ(言い訳)の小説だと断じています。“ハードボイルド”と“チャンドラリアンの小説”は別のものと言います。

この視点に立った時、村上春樹の翻訳をハードボイルドが云々という文脈で批判することは、そもそもナンセンスなのです。

船戸与一の影響で、ハードボイルド“ではなく”チャンドラリアンの小説として捉えているので、私は二つの作品のどちらもすんなり楽しめました。原籙のコメントとはニュアンスが違いますが、これはこれで良かったというのが素直な感想です。何より、村上春樹の、この作品が好きだという、翻訳できて幸せだという気持ちが行間から溢れていて、とても良い印象を持ちました。

無理に褒めることはありませんが、批判するために批判するのは、その作品に太刀打ちできなかったと認めるようなものです。