行動原理

“世間”とは何でしょうか? 
世間に迷惑をかけたことをお詫びする。世間を騒がせたことを反省している。それは誰に対しての言葉なのでしょうか。不特定多数を想定することは、逆に誰にも目を向けていないことなのではないでしょうか。

村上春樹の『ノルウェイの森』で、主人公の先輩が、大略次のようなことを言います。

「自分は紳士でありたい。そして、自分がしたいことではなく、すべきことをするのが紳士だ。」

その亜流として、私は「こういう自分でありたい」ということを念頭に置いて生きてきました。もちろん能力不足、努力不足、妥協もありましたが、最低限「こうはありたくない」という一線は守ってきたつもりです。

世間一般そういうもの。それを基準に行動することは、主体性や能動性、もっと言えば「自分が自分であること」の放棄ではないでしょうか。

しようがない、そういうもの、それが当たり前、皆やっている。言葉が脳を通らずに口から出ているとしか思えません。その時私は、いったい誰と話しているのでしょうか?