ボクシング

80年代後半だったと記憶しています。思想という程大げさなものではありませんが、ある考え方を耳にしました。発信元はアメリカ。

ビジネスの世界において、肥満している者、飲酒癖のある者、喫煙の習慣がある者は評価されない。あるいはその対象にならない。何故なら、ビジネスは他者との係わり合いの中で行われるものであり、自分(の欲望)をコントロールできない者には、他者をコントロールできはしないから。

自分の体から緊張感が無くなってきたことを感じ始めて数年。そして五年前、ボクシングを選びました。小学生時代に空手を習っており、最終的に初段に合格して黒帯を締めることができたので、今回はまた違った競技をと考えたことが理由の一つ。もう一つはずっとプロレス及び格闘技のファンでしたが、より実戦的に見えたのがボクシングだったからでした。

実戦的とはどういうことか。ただ運動して体を絞るのではなく、その結果として何かを手に入れたいと考えました。より具体的に言えば、技術です。男なら、せめて自分自身と、自分にとって大切な人の身ぐらいは自分の手で守れなければ。何も一対一で喧嘩をして相手をノックアウトする必要はありません。乱暴な話ですが、ボディに一発入れて、相手が苦しんでいる間にその場から走って逃げてしまえば良いのです。

最近はプロ選手とマスボクシング(実際には当てない、当てても軽く触れる程度に抑えるスパーリングの一歩手前の練習)もするようになりましたが、やればやるほど自分の未熟さを痛感します。イメージ通りに体が動きません。

シャドーボクシングやミット打ち、バッグ打ちはそれなりに上達していますが(あくまでもそれなりです)、おそらく喧嘩は強くなってはいません。幸運なことに上記のようなトラブルに遭遇することなく過ごせていますが、いざその時になってボディに一発入れて云々も実践できるかは疑問です。

ただ、拳の怖さを知りました。ボクシングは暴力ではありませんが、その要素があることは否定できません。“君子危うきに近寄らず”と無用のトラブルを避けるのも大人の嗜みですが、その裏に「本当に必要であれば、その時は暴力を行使することも躊躇わない」という覚悟めいたものを忍ばせるようになりました。

体をコントロールすることは即ち精神と意識をコントロールすることです。冒頭に挙げた考えかたもあながち嘘ではありません。

※卑近な例ですが、もちろん痩せて体力もつきましたが、ストレッチも欠かさず続けることで体が以前と比べて柔らかくなりました。人間の体は年齢に関係なく、努力しただけ応えてくれます。