私的・船戸与一論 その五

大藪春彦といえば言わずと知れたハードボイルドの先駆者にして巨星として、その死後も輝きを失っていない。その大藪の『復讐の弾道』(光文社文庫)の解説を船戸与一が書いている。

大藪春彦は主人公たちに、たとえば伊達邦彦にかならず次のような性格を附与する。『快楽とは何も酒池肉林もにを意味するものでは無かった。キャンバスに絵具を叩きつけるのも肉体的快楽であり得たし、毛布と一握りの塩とタバコと銃だけを持って、狙った獲物を追って骨まで凍る荒野を、何か月も跋渉する事だって、彼には無上の快楽となり得た』物質にたいする精神の毅然たる優位性。このストイシズムがゆえに、獣性の権化のように振舞う大藪小説の主人公たちはいつもそこはかとない神々しさを帯びるのである。」

船戸与一大沢在昌の『屍蘭 新宿鮫Ⅲ』(カッパノベルス版)のカバーに次の文章を寄せている。

「彼(大沢在昌)は新宿鮫を書いていく過程の中で、ハードボイルドについての考えかたも大きく変えたのではないかと思う。洒落て見えても無内容なダイアローグの放棄。空疎でちゃちなアフォリズムとの決別。大沢在昌新宿鮫シリーズでがっちりと肚を据えた。」

ストイシズムとは単なる我慢ではない。行動を志す者の純粋な意志だ。そしてそのためには余分なものは削ぎ落とされる。