プロとは

好きなことを仕事にするのは諸刃の剣です。それが義務になり、負担になり、苦痛になって、せっかく好きだったことが嫌いになるかもしれません。

では、仕事は仕事、生活の糧を得るための手段であり、労働時間を提供して対価をえているのだと割り切ったら精神的に平穏になれるのかといったら、そうはならないでしょう。

様々な事情から、職業としてプロレスを選んだ長州力。そのキャリアの初期、彼が、プロレスラーとして自分がどうあるべきかわからず煩悶していたのは、自分が選んだ職業に対して誠実だったからだと、わたしは思います。

作家の北方謙三は、純文学を志して鳴かず飛ばずだった下積みのような修行時代が、エンターテインメント小説に舵を切ってからの成功の土台になったと評されます。

いつのころからか、スポーツ選手がオリンピックを含む国際的な試合に臨むに際して、「楽しみたい」と言うようになりました。そのセリフが「良い思い出作り」という程度の意味で発せられたのではないことは承知のうえで、やはり、それはプロフェッショナルの言葉ではないでしょう。

田崎健太の『真説・長州力』を読んで、長州力はプロレスラーという仕事を決して楽しんではいなかったと感じました。しかし、楽しんではいなかったかもしれませんが、その醍醐味、妙味を深いところまで味わい、充実したプロレスラー人生を送ったと、これは確信出来て、何だかほっとして嬉しくなりました。

評伝は、著者の熱い想いとともに書かれてこそ、読者の胸に響きます。この『真説・長州力』で、著者は長州力に寄り添っています。幸福感に満ちた優しい視線とともに。

そうさせたのは、長州力。彼の人間力です。

ですので、「隠された真実が暴かれる」といった煽情的な刺激を求める読者には物足りないかもしれません。また、作家の(価値観という)フィルターを通して物語として再構築して、もっと起伏に富んだ展開で盛り上げてくれと思う読者もいるかもしれません。

しかし、それをしなかったからこそ、長州力は田崎健太に胸襟を開き、わたしという読者は幸せな読書が出来たのだと思います。

真説・長州力 1951-2018 (集英社文庫)

真説・長州力 1951-2018 (集英社文庫)