もう一つの『長いお別れ』

同じ会話を日々繰り返すのは責め苦の如き苦痛です。

そのとき確かに言ったことを、翌日には「そんなことは言っていない」と否定される毎日。いま話していることも、明日になれば記憶から抜け落ちて、言っていない、聞いていないと否定されるとわかっていながら言葉をかけ続ける徒労感。

老境に至り、連れ合いが認知症になったとき、それを許容出来るのは、ともに過ごした時間という確かな手応えがあればこそなのでしょうか。

中島京子の『長いお別れ』は、認知症と老人介護を描きながら、どこかからっと乾いた印象の作品です。それは第一に、著者が情緒に逃げなかったからであり、第二に、夫婦の(子育ても含めて)ともに過ごした人生が強固な土台としてあるからだと、わたしは思います。

それは、労苦を伴うものであっても、幸せな物語です。

人は、どのように生きてきたかを晩年に問われます。

この『長いお別れ』というタイトルについて、物語の最後で触れられる場面があります。これを読むために、この物語はあったのだと思います。

長いお別れ (文春文庫)

長いお別れ (文春文庫)