自制

人類史についての本を読むとき、扱われる事象は万年単位で語られます。西暦が現在2017年。それを何回繰り返すのかと想像すると、そのスケールの大きさに目眩を覚えます。

刺激は、より刺激的になることでしか刺激たり得ません。同じように、進歩という名の変化の速度もまた、過去の10万年と今の100年が等しいかのように加速度的に上がって現在に至ります。

禍福は糾える縄の如し。

ホモ・サピエンスが他の人類を駆逐し得た“認知革命”が、過ぎたるは及ばざるが如しとばかりに逆襲してくることはないのでしょうか。『伝説巨神イデオン』で、目覚めたイデが未熟な人類に絶望し、次の生命に期待してすべてを無に帰してしまったように。

損して得取れではありませんが、中長期的な目標の達成のためには(例えば設備投資のような)短期的なマイナスも必要な過程であり、自制というものが求められると、これは強く思います。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福