『漁師の愛人』

あの地震に材を取った小説を読むとき、ささやかであれ覚悟を秘めた緊張を伴います。

森絵都の『漁師の愛人』に収録されたページ数も少なめの中編を一つ読むのにも、一息に読み通すことが出来ず、途中で休憩を挟んで爪切りなどをして心を落ち着けなくてはなりませんでした。

フィクションに何が出来るのか。著者は小説家として自問自答したと想像します。

「同行二人」という言葉があります。いわゆる“お遍路さん”で、お大師さまが一緒に歩いてくれているという意味です。

それは声高な応援ではありません。ただ一緒にいてくれるだけです。それが人を支えてくれるのは、理屈は色々並べられますが、つまりフィクションに力があるということです。

眉間に皺を寄せて深刻になるのではなく、時にはユーモアを挟み、読み終えて元気が出るというよりも、明日も頑張ろうと静かに思う。そんな短編集です。

『守宮薄緑』(新潮文庫)のあとがきで、花村萬月は短編を書く難しさについて語ったあと、こう記します。「(前略)読者には恐るおそる呟こう。これがいまの私の最善です、と。」

きっと、同じです。

プリンが食べたくなりました。

漁師の愛人 (文春文庫)

漁師の愛人 (文春文庫)