分をわきまえろ

数日前、「Mr.children桜井和寿が政治的な発言をしない理由」を取り上げた記事を読み、その胡散臭さに顔をしかめました。

桜井和寿がどのようなスタンスを持とうと、それは彼の自由意思であり、それを否定する気は毛頭ありません。わたしが嫌悪感を抱いたのは、その記事の体裁です。

歌に対して信仰にも似た想いを持ち、歌で表現することに賭ける姿勢は素晴らしい。しかし、それは桜井和寿個人の範疇に留まるべきものです。

それを、あるべき社会的規範のように褒めそやす記事に、その裏に隠された意図を感じずにはいられません。

これが桜井和寿に対するインタビュー記事で、彼が表に出てのものであれば、その記事の主役は彼であり、彼の意志があってのものと理解できますが、そうではありません。

桜井和寿の発言は素材として援用されているに過ぎません。

では、その記事は何を主張しているのでしょうか。わたしはこう言われたように感じました。「分をわきまえろ」と。何事かを声高に主張することなく、日々の生活の中に留まり、そこから出てくるなと。

人のやることには理由があり、そこには意図が存在します。必ずです。ならば、こう問うことは自然でしょう。「この記事が、このタイミングで書かれたのは何故か」と。

政治的な発言を直接にはしないという意思表示が、すでに政治的態度であることに、桜井和寿は気づいているのでしょうか。