ヤジも言葉

ヤジも言葉です。ヤジを飛ばしたという現象だけにとらわれていては、本質を見誤ります。

ヤジを飛ばすという行為は、安倍晋三首相の人間的未成熟、彼の愚かさを表しているのであり、それは彼の個人的資質の問題に止まります。

それは政治とは別の話です。

そこを出発点として「早く質問しろよ」というヤジの中身としての言葉を考えたとき、ある想像が脳裏を過ぎります。

自らが推し進めようとしている政策について、国内でも海外でも大きな議論の的になっている現状で、反対意見を持つ者の質問は怖いはずです。

条理を尽くして説明しても意見が相容れない可能性の高い相手を説得する困難に慄くのが当然です。大手メディアを手なずけているつもりでも、自分の発言は報道されるのであり、それが自分に不利に受け取られないように細心の注意を払うという精神的労苦を前に緊張感を持つのが当たり前です。

安倍首相には、それがないのです。

何故か。

いま議論されている問題において、安倍首相は責任を負う立場にないからではないでしょうか。

そうでなければ、「早く質問しろよ」というヤジはあり得ないのです。

だって、自分の掲げる政策を批判する質問などしないでもらえれば、それが最も都合が良いわけでしょう? それを「早く質問しろよ」とは。

自ら「わたしは責任を負う者ではありません」と言っているようなものです。

この責任感のなさに呆れると同時に、それ以上の恐怖を覚えます。