『残夢の骸』

外見や形ばかり取り繕っても、内実が伴わなければ、組織であれ個人であれ、誰からも相手にされません。

満州を丸ごと描く」ことをコンセプトに綴られた“満州国演義”シリーズ。しかし、物語の後半、太平洋戦争が始まり、戦線が南方に拡大していく中で、満州国はアジアの状況に何らコミットすることが出来ず、物語の展開においても存在感がありません。

存在は他者の承認を必要とします。その相互関係が成立しなければ、双方が一方的な論理、もっと正確に言うなら“正義”を振りかざし、押し付けることになります。

世界中の、どの国の人々にとっても、その悲劇を想像するのは難しいことではありません。過去を振り返れば、歴史にはその事例が満ち満ちています。

このシリーズを読んでいて感じ続けたのは作者の、言うなれば不動明王の如き怒りです。

しかし、作品を書き終えて、船戸与一は言います。

「資料を読むと、こんなはずではなかった、と思っている人物が山ほどいる。主体的に生きようとすればするほど、歴史の濁流の中でねじまげられていく。後世の高みに立って、俯瞰した上でおまえの罪だというのは簡単だけど、時代感情や気分を無視して人が生きられるわけではない。後から貼り付けるレッテルなんて、ほとんと意味がない」

この仏教的無常観に通じる言葉に、人間に対する諦念を読み取ることは簡単ですが、「人間て、そんなものだよね」で終わるなら、船戸は小説を、このシリーズを書いていなかったはずです。

空気を読み、時流に乗ることに汲々とし、そんな生き方の末に待っているのは何なのでしょうか。

ここで、わかったようなことは書けません。船戸ハードボイルドは、それをステレオタイプな言葉で安易に表現することを拒みます。遺作となった『残夢の骸』を読み終えて、こんなにも厳しい作家だったのかと、あらためて畏敬の念を強くしています。

残夢の骸 満州国演義9 (満州国演義 9)

残夢の骸 満州国演義9 (満州国演義 9)