献杯

埴谷雄高が『死霊』で言っているように、「自分とは何か」ではなく「何を以って自分とするのか」を己に問うとき、「船戸与一を読んでいる」ということは、わたしの誇りです。

訃報を目にして、遺作になってしまった『残夢の骸』を手に取るのではなく、まさに読んでいる最中にその死を知ったという“現在進行形”の別れに、最後を看取ったと言いますか、読者としてきちんと挨拶ができたという思いでいます。