邪推でしょうか

読売新聞のスポーツ欄に掲載されているコラム記事を読みました。区切りのロープを超えて見学者が立ち入れない練習スペースに入り、選手にサインを貰った少年を取り上げています。

サインを貰った少年は、喜ぶと同時にルールを守るのは損だと確信したに違いなく、ルールを守ることの大切さを覚えなくてはならないと説いています。

一読して、その行間に漂う薄気味悪さに辟易しました。

少年は憧れのプロ野球選手からサインを貰って、ただただ嬉しかったのだろうと思います。興奮して、それ以外のことは考えることも感じることもなかったはずです。それ以上でも以下でもなく、上記のような邪まな計算をする余裕などあり得ません。

人間の心の在り様を愚弄して、これほど出色の記事はめったにありません。その決め付けから、先に結論ありきで、それに合わせてエピソードを利用したと読めます。

その少年の横には同伴の大人、おそらく父親がいたはずです。少年の興奮が冷めたころ、父親が息子の行動を諌めて話は終わりです。

誰でもミスを犯し、それを乗り越えて成長します。少年時代の、思い出すと心がチクリと痛む一場面。それだけのことです。

それを、このような悪意ある想像を交えた記事にするのは何故なのでしょうか。先にあった結論。それは、個人的行動よりも集団のルールを遵守することの方が優先されるということ。

嫌らしい計算を感じる記事でした。