徒然に思う

経済力とは何でしょうか。それは「金持ちであること」ではありません。「もうけさせてくれる相手である」という他人からの評価です。言うでしょう、「金の切れ目が縁の切れ目」と。言い換えるなら、金の繋がりがある限り、縁は切れません。

戦後の景気の回復と高度経済成長、その後のバブル。私たちはずっと攻勢の立場にいました。そのときは良かったのです。経済力を背景に振る舞うのは楽で簡単でしたから。

しかし、バブルの崩壊と長期の景気低迷を経ての低成長の時代、守勢のとき如何に身を処していくかは難しいものです。

かつての好景気を知っている人たちは現実に適応して新たな方法論を持つことができず、物心ついたときから経済に関しては良いニュースを聞かずに育った人たちは小さくなっていることしか知りません。

その一部始終を隣の国に見ていた中国が、同じ轍は踏むまいとしていることは想像に難くありません。ただ、その手段が強引な膨張主義だというのは危険です。その独善が何を生むかも、さらに過去の日本が既に示しています。

一国ですべてが完結することなどない時代に「光栄ある孤立」などあり得ません。鎖国などできません。

私には、中国の政治指導者たちが、欧米諸国と日本に国土を好き勝手にされた過去をトラウマとし、その恐怖を原動力に突っ走っているように思えてなりません。金の力のみを信じ、それだけを担保にして。

「金を持っていなかったら、誰も自分を相手にしてくれない」

そんなことはないのだと、もう少し人間を信じても良いのではないかと思うのです。