神か人か

プロボクシングの話。山中慎介の左ストレートを“神の左”と呼ぶことに抵抗を感じます。

「神は細部に宿る」なら、修練の積み重ねの結果としてのフィニッシュブローに神性が宿ることもあるかもしれません。

それでも、私は、それを“人の拳”と捉えたい。“山中慎介の左”と呼びたい。

そして、その左ストレートに至る過程にこそ山中の真価があると思っています。