稚拙

山本太郎参議院議員の一連の言動は稚拙極まりなく、今後に何ら期待を抱かせるものではありません。

自分の行動に対する反発や批判は想定されたはずです。それに対して如何に反論するかまで準備しての行動でなければ、ただのスタンドプレー、自己満足に過ぎません。彼の与党やマスコミへの批判は、「バカと言った方がバカ」程度で、批判になっていません。

天皇陛下に手紙を手渡すという前代未聞の行為を起点に世論を喚起するという意図ならわからなくもありませんが、彼の言動を見聞きするに、その手紙を手渡すという手段が目的となって、それを果たしたことでストーリーが終わってしまっています。

何と稚拙な。

彼の周囲には軍師と呼ぶべき人材がいないのでしょうか。想像力を持ち、ビジョンを共有する仲間はいないのでしょうか。このままでは、「オレ(たち)は正義のために頑張ったけれど、強大な敵に敗れてしまった悲劇の主人公」という小さなヒロイズムしか残りません。それも、彼らの中だけに。

ルールを守れというのではありません。ルールなど、所詮は解釈でどうとでもなります。憲法然り、法律然り、暗黙の了解然り。戦後の55年体制は、そうして運用されました。それを自らに有利になるように仕向ける、持っていくのが“戦略”でしょう。それがなくて戦いを挑むなんて、蛮勇という言葉すら勿体ない、ただの愚か者です。

原発事故以降、私などが想像することもできない経験をし、考えてきたと思います。それを活かさなかったら、すべては個人的な情緒の内で完結してしまいます。それを肯んずることができなかったからこそ、政治的な発言を繰り返し、選挙に立候補して国会議員にもなったのでしょう。

そうして手に入れた武器(=国会議員という立場)を活用するのが政治家です。

彼を擁護する意見も多く見られますが、それらは総じて情緒的なものに留まっています。

判断されるべきは、結果です。志が高かろうと、その心根が純粋だろうと、彼の言動が彼自身の理想を後退させている事実から目を背けては、言葉は力を持ち得ません。

やるなら上手くやれ。ただ、それだけのことです。

その“上手くやろうとする連中”に、「そうは問屋が卸さないよ」と立ちはだかるのがマスコミ(のはず)ですが、それが機能していないのは、また別の話。