繰り返す愚
山本太郎参議院議員が、園遊会で天皇陛下に原発問題に関する手紙を手渡したことが問題視されています。「天皇の政治利用ではないか」と。
実は、その批判そのものが、発想において山本氏の行為と同根であることに多くの人が気づかずにいるのが解せません。敬して遠ざけるか、切り札にするかの違いがあるだけで、天皇(という存在)をアンタッチャブルなツールとして扱うという点では同じです。
天皇陛下も皇后陛下も、日本国民の象徴としての振る舞いを求められます。言いたくても言えないことを胸に秘め、したくてもできないことを諦め、その葛藤を抱いて日々を過ごされていることは想像に難くありません。
言葉も行動も制限された天皇陛下と皇后陛下が、あのような手紙を渡されて心に小波も立てず平然としていられるとは思えません。その困惑と苦しみは如何ばかりか。
国民を愛し、国民に愛される皇室。その基本理念とともに戦後を歩んできたはずなのに、いまだに一人の人間として心を寄せられることがないのでは、昭和天皇の人間宣言とは何だったのでしょうか。
自分は国民のために正しいことをしているという独りよがりな正義感は、先の戦争において、規律違反や命令無視を犯しても、「天皇のためにしたことだから」という言い訳が免罪符になって罰せられることがなかった事例に通じます。
昭和天皇は、その事実を知りながら、立場上、自分が何もできないことに苦しんだそうです。それと同じ愚を犯そうというのでしょうか。