母という女性(ひと)

遠洋漁業の船員の目を通して日本の近現代史を描く、高村薫の『晴子情歌』。そこには、物語の構成として配されたものがあります。三十歳を目前にした船員の息子への“母親からの手紙”です。

高村薫が『晴子情歌』を上梓したとき、それまでの作品とがらっと変わった内容に戸惑った読者が多く、理由の一つが、その旧仮名遣いで書かれた手紙でした。

「母親が、(男女のことも含めた)自分の半生を息子に語るものだろうか」という違和感。

家庭では、母親は母親であって、母親以外の何者でもありません。しかし、『晴子情歌』はある事実を突きつけます。その母親もまた一人の女性であり、彼女を母と呼ぶ息子や娘と同じ年齢、時間を経験してきたのだということを。

しかし、その想像は大切です。最も身近な人へ心を飛ばすことは、その範囲を広げていき、他者を尊重することに繋がります。

読者とともに主人公も戸惑っています。彼が如何なる地平に立つのか。

単行本で一度は読んだ作品ですが、この加筆訂正された文庫版を読むにあたって、私の方で大きな違いがあります。もちろん年齢もですが、その間に、坂野潤治の『日本近代史』と立花隆の『天皇と東大』を読んでいることです。

北海道と青森という辺境(失礼!)を舞台に日本の近現代史を語る『晴子情歌』は、必然的に土地に密着した生活を描くことになります。その“地べた”からの視線で世界を眺めるとき、上記の二作品は私の読書を大きく強く助けてくれます。

さあ、下巻へ。

晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)

晴子情歌〈上〉 (新潮文庫)