飲み込めない

咀嚼しようと試みながら果たせず、ずっと腑に落とすことができないでいる言葉があります。

東京オリンピックの開催が決まる前、まだ誘致レースの真っ只中の頃。猪瀬直樹都知事の、大略「オリンピックで盛り上がることで、心のデフレを脱却する」という発言です。

将来に向けて明るいビジョンを描けないのは、決して“気分”の問題ではありません。政治家が自らの無為無策、理念の喪失を棚に上げて、原因や理由を他人に、それも心の在り様に求めるのは愚かというのもの。

そして、自分の心の姿は自分で決めるものであって、他人に決めてもらうものではありません。それをできると思うのは傲慢であり、他人を見下した態度です。

こんなとき、船戸与一の「叙事の積み重ねが叙情を凌ぐ」という言葉を思い出します。

和を以って尊しとなすメンタリティを持つ日本人の、その和(=輪)の鎖となる「論理をくだらない理屈と退け、気分的な満足を優先する精神風土」が武器にならないことを、私たち日本人は骨身にしみて知っているはずです。