現在の私

どうやら、読書の傾向が変わってきたようです。

以前のように、特定の作家が気に入って作品を買い揃えることもなくなりました。それとともに、小説については、新しく出てきた作家の作品を手に取ることもなく、好きで読んでいる作家の新刊を買うだけということが多くなりました。

あるブログのコメント欄に、大略「新しい作家の本に手を出さずとも、気に入っている本を読み返せば充分だ」と書いたこともあります。

このような考え方をする人は他にもいるようで、吉成真由美のインタビュー集『知の逆転』で、コンピュータ科学者、認知科学者のマービン・ミンスキーは、推薦図書を尋ねられ、「小説はほとんど読まない」と答えています。その理由として、「たいていの小説は、まず人々の問題があり、彼らが陥った難しい状況というものがあって、それをどうやって解決するか、うまく解決できてハッピーエンドになるか、そうでなければ、うまくいかなくて罰を受けたり死んだりするか。100冊小説を読んだら、みな同じなんですね」とのこと。

ここ数年、小説においては「何を書くか」ではなく「如何に書くか」が問われるべきではないかと考えていたので、我が意を得たりと膝を叩きました。

その「何を書くか」で思い出すのが立花隆です。

立花隆は、文藝春秋社に入社したばかりのとき、先輩社員に「どのような本を読んでいるのか」と訊かれ、(おそらく胸を張って)古今の名作の名前を挙げたところ、「小説ではなくノンフィクションを読め」と言われたそうです。

そして、あるノンフィクションの賞の選考委員になったとき、女子プロレスを題材にした作品を否定しました。大略「ノンフィクションは“何を書くか”が重要であって、その世界にもドラマがあることは認めるが、大多数の者にとって女子プロレスは自分たちの人生と無縁のもので、自分は価値を見い出せない」という理由で。

これに対して夢枕獏が苦笑とともに怒りを持って反論していましたが、それはまた別の話。

本を読まない生活というものは考えられず、好きな作家の新刊だけを発売されたら読むということはあり得ません。小説については上記のようなスタンスですし、これからは本に対して幅広い視野、つまりは色々なことに興味を持っていこうと、これは自戒を込めて。

しかし、フィクションでこそ描ける真実というものが、これは間違いなくあります。そういう作品との出会いを逃がさないよう、これからも気合を入れて本を読んでいこうと思っています。

知の逆転 (NHK出版新書)

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