公案

日本の仏教は「葬式仏教」と揶揄されます。自分の家の宗派も知らず、お寺と関わるのは葬式や法事のときだけとなれば、そもそも「仏教とは何ぞや」という疑問も関心も持ちようがありません。

「禅」について書かれた本を読む場合には、その「仏教とは何ぞや」という問いについて(あくまで自分なりにですが)勉強しておく必要があります。平安時代の国家鎮護のための仏教と、それに対するカウンターとして派生した鎌倉仏教。あるいは大乗仏教小乗仏教の違い等々。

それらを踏まえて、禅ならではの“公案”に取り組むことになります。

公案】①中国の役所の文書。調書。裁判記録。②禅宗で、修行者が悟りを開くため、研究課題として与えられる問題。優れた修行者の言葉や事績から取られており、日常的思考を超えた世界に修行者を導くもの。(大辞林

この公案は学校のテストと違い、これが正解というものはありません。自分なりに考えて、自分なりの答えを出すという過程こそが大切なのだと説いているというのが私の理解です。

そこで大切なのが、世間(この言葉は大嫌いですが)の物差しで考えてはいけないということです。

私見ですが、これは「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(歎異抄)で知られる浄土真宗親鸞の「悪人正機説」とも繋がると思います。

とにかく難しい。一見非常識と思える事例(公案)の数々に、思索の迷宮に迷い込んだかのような錯覚すら覚えます。そして、否応なく“自分というもの”を意識させられます。すべては、他の誰かではなく自分自身の問題だからです。

禅についての本を読んだからといって、迷いが消えることもなければ、誰かが導いてくれるわけでもありません。

『禅がわかる本』というタイトルとは裏腹に、安易に「わかった」という感想を述べることを拒否する本です。しかし、「わからない」という言葉を口にするとき、読む前と後では、その意味合いが明らかに違います。

今日のところは、その手応えを持てたことで良しとしましょう。

禅がわかる本 (新潮選書)

禅がわかる本 (新潮選書)