『冷血』上巻

「私はなぜ、警察小説を書かなくなったか」について、高村薫は語っています。

「1995年、東京は八王子のスーパーで、アルバイトの女子高生ら三名が射殺された事件。(中略)被害者は、粘着テープで縛られて頭を(拳銃で)打ち抜かれております。女性たちがそんなふうにして殺される理由もなければ、そこに至る物語も全く想像できません。物語性のない、ただただ残酷な事実の前で、私は立ちすくんだわけです。」

「1997年に神戸で少年の遺体の一部が発見された事件は、私は学校の校門の前に云々という状況をどうしても思い浮かべることができなくて、そんな事件はもう私の頭ではついていけないから、何も申し上げられませんと言って取材を断りました。」

即物的な圧倒的残酷さに対するのと同じく、私が触れることができないと感じた点はでは、被害者や遺族の悲しみもまたしかりです。物語を拒否する悲しみ。そういう犯罪の被害者の悲しみもまた、私には小説にする能力がないというふうに感じました。」

「いずれ小説家としては、現代の犯罪と向き合わなければならないという思いはあるのですが、今はまだその方法が見つかっておりません。(中略)多分現代の犯罪を書くためには、私がこれまで書いてきたような人間描写の手法を徹底的に捨てなければならない。そういう予感があります。なぜなら、現代の犯罪を小説にするということは、もともと物語性を持たない青少年の即物性、これを物語にするということだからです。すなわち、不可能への挑戦ということかもしれません。挑戦はしたものの、物語性を持たない物語、そういう矛盾の前であえなく敗退するかもしれません。」

これは、平成15年に開催された講演会で語られたもので、『警察小説大全集 小説新潮三月臨時増刊(平成16年)』に収録されています。

冷血(上)

冷血(上)