トンネル事故に想う

尊い犠牲。事故が起こるたびに使われる言葉です。

何が尊いものか。人の命と引き換えでなければ、何もできないのか。

私は、自分の家族が事故に遭わなくて良かったなどとは思えません。それは、家族の無事を喜びながら、その裏側で、犠牲になったのが見ず知らずの他人で良かったと言っているのと同じです。

私に大切に想う家族がいるように、亡くなった方々にも大切に想う家族がいたはずです。

私が家族を亡くしたら悲しむように、家族を亡くして悲しんでいる人たちがいるはずです。

昨日今日と、日本中の道路で、おそらく薄笑いを浮かべながら「このトンネルは大丈夫だろうな」といった類の軽口が叩かれたでしょう。

理不尽な暴力の前に、無力感に襲われてのことかもしれませんが、私は冗談にすることも、世間話の一つとして扱うことも躊躇われます。

だから、ただ黙します。