ゴミ捨て場

森瑤子を語るとき、外すことのできない有名なエピソードがあります。名付けて「おにぎり絶交事件」。

結婚後、仕事を辞めて専業主婦という閉ざされた世界に身を置いた森瑤子。社会との接点を失くし、自分を肯定できなくなります。

そこで得た唯一無二の親友は、彼女と同様に子育て中の女性で、お互いに他人には言えない本音を言い合える存在でした。

ある日、子供たちを連れて、お弁当を持ってピクニックに出かけました。遠出というものではなく、近所の公園だったと思います。

楽しい雰囲気の中、昼食の時間になりました。「良かったらどうぞ」と、お互いに相手の持ってきたお弁当にも手を伸ばします。

そして、森瑤子が友人の作ったおにぎりを手に取った瞬間。それはボロボロと崩れてしまいました。ご飯を炊く段階で水の分量を間違えていたようです。

その瞬間、森瑤子は叫びました。

「こんなおにぎりを作るような人とは絶交だ」

その後、小説家になった森瑤子。しっかりとエッセイのネタにし、その中で自分の心理を分析します。

ボロボロに崩れたおにぎりに何を見たのか。それは、まがりなりにも友人と呼ぶ相手への気遣い、気配りの欠如です。敬意と云っては大袈裟なら、相手を一人の人間として認め尊重する気持ちの欠落です。

しかし、そこは作家。礼儀に欠ける女性を責めて終わりではありません。返す刀で自分にも切り込みます。

「何でも言い合える」などと自惚れていたが、それは、互いを「負の感情を吐き出すゴミ捨て場」としていただけではないのか。慎みを捨てて接することを、他人とは持ち得ない友情と勘違いしていたのではないか。

森瑤子は、その女性に自分を重ねました。ボロボロに崩れたおにぎりは、自分自身の、その醜悪さの象徴でした。

ブログに記事を書き始めてからずっと、このエピソードを念頭に置いています。誰かを批判したり、愚痴をこぼしたりするのは簡単で、何だかいっぱしのことを書いた気分にもなります。しかし、その文章が何かを生み出すことはありません。自分にも、読んでくださっている方の心にも。

この誘惑は甘く、正直に告白すれば、「書いては消し」を何度繰り返したかわかりません。下書きの段階で消したり、公開した後で「これは駄目だ」と削除したり。

手軽さが売りのツイッター。それは、この敷居がブログよりも低いということと同義です。当然、そちらでも「書いては消し」を繰り返しています。

言葉が雑になるのは、心が雑になっているときです。負の感情や愚痴を吐き捨てる場所にならないように自分を律したいと思う、今日この頃。