『無縁社会』

企業の役割とは何でしょうか。

まず、利益を上げて税金を納めることが挙げられます。それと同時に、雇用を創出することです。

雇用を創出するということは、そこで働く社員が収入を得て、家庭を作り、社会生活を営むことを可能ならしめることです。

社会を人間の体に置き換え、すべての細胞が連環して一つの肉体を、人間を形成しているように、社会は、そこに暮らすすべての人々の係わり合いで成り立っているとする論があります。

贅沢はできなくとも、慎ましく暮らせるだけの収入。それは社会が機能するための基本中の基本、礎です。

ある日、突然、それを奪い取られたら、剥ぎ取られたら。その社会の埒外に身を置かざるを得なくなったら。

それは誰の身にも降りかかる可能性があります。私にも、この記事を読んでくれているアナタにも。

戦後の日本は、家庭における家父長制度を会社組織にも当て嵌めました。忠誠の対象を国から企業に移しました。その結果、家庭を顧みずに仕事に没頭することは大義名分を与えられて正当化され、社会の最小単位である家族(という人間関係)は犠牲になりました。

その会社から「お前は要らない」と弾き出されたとき、あるいは会社そのものが倒産して消失したとき……。収入を絶たれると同時に、居場所もなくなります。

ここ数年、多くの企業が海外に生産拠点や会社組織そのものを移すニュースを多く見聞きします。それが、企業が生き残るための苦渋の選択であることは重々承知しつつ、この国から雇用が消失していくことをどのように考えているのかと疑問に思ってきました。「国破れて山河あり」ならぬ「国敗れて企業あり」で良いのかと。

私たちは、もはや昭和の方法論では生き抜けません。そして、残酷なことに、平成の方法論でも。

“無縁死”は、特別な環境に置かれた一部の人たちが陥る罠ではありません。家族がいて、家庭があって、仕事があって、友人がいて、毎日が充実している。そんな人にも襲い掛かります。明日は我が身。

考えろ。そして、動け。動きながら、また考えろ。

無縁社会 (文春文庫)

無縁社会 (文春文庫)