あるハードボイルド考

大沢在昌の『絆回廊 新宿鮫Ⅹ』は「一読、巻を措く能わず」の面白さで、ページを繰る手が止まらない“一気読み本”です。お金と読む時間を費やす価値があります。

しかし、ハードボイルド小説としては失格です。

世の小説がすべてハードボイルドの文法で書かれなければいけないわけではありませんし、ハードボイルドであることが面白さの条件でもありません。

それでも、“新宿鮫”シリーズの一作であるなら、それは「暴力のみが機能する状況の最前線で行動のみを志す男、即ち“硬派”」を描くハードボイルド小説でなければいけないのです。

『絆回廊』は、鮫島の理解者にして盟友の上司、桃井の死が描かれます。それは予め作者によって用意されたもので、その結末に向かって物語は収斂していきます。

断言します。その悲劇の原因は鮫島の弱さであると。『絆回廊』の鮫島は後ろ向きで言い訳が多く、その弱々しい姿に、前作『狼花』の覚悟と熱さに興奮した私は、極論すれば同一人物とは思えませんでした。

印象的なのは、物語の終盤に鮫島がヤクザの事務所に乗り込む場面です。自らの弱さを内に抱え込んで耐えることができず、暴れるだけ。何と情けない姿。

桃井の死という結末を成立させるためには、鮫島が強くてはいけなかったということでしょう。鮫島が、特に『毒猿』や『屍蘭』のときのように強い男であったなら、桃井は死ななかったはずです。物語の要求にキャラクターが屈したとも云えます。

この作品はインターネット上で連載されました。そこには新しい読者層を開拓するという狙いがあったそうです。そのために“わかりやすさ”を前面に出す必要があったのでしょう。行動のみを描写するハードボイルド小説は、読者に物語を咀嚼する顎の強さを要求します。それを持たないであろう新規の読者にアピールするための気遣いという面もあったと思います。

それは作品にとって不幸なことでした。「わかりやすく面白い」ことなど、“新宿鮫”シリーズを追いかけてきた読者は求めていません。少なくとも私は求めていません。

もう一度繰り返しますが、面白さは抜群です。読んで損はありません。ただ、ハードボイルド小説ではないというお話でした。

絆回廊 新宿鮫?

絆回廊 新宿鮫?