思考のだだ漏れ

いつから、言いたいことを腹蔵なく言うことが、その人の素直な心根の発露の如きものとなったのでしょうか。

大阪府知事が、通り魔事件の犯人について「死にたいと言うんだったら、自分で死ねよと。人を巻き込まずに自己完結してほしい」と発言しました。

この程度のこと、事件を知った人の大半が思ったでしょう。職場で、仲間内で、これに類することを喋ったでしょう。

この事件の犯人は断罪されて然るべきです。しかし、この発言はひどい。

想像したくもありませんが、もし、私の家族が似たような事件の被害者になったとして、公的な立場にある人が公的な場所で「(犯人は)死にたいと言うんだったら、自分で死ねよ」と発言したなら、失われた命は何だったのかと、亡くなった人が貶められたように感じるでしょう。馬鹿げた事件で殺された、運の悪い人というだけの存在なのかと。

想像するだけで、これほど嫌な気持ちになるのです。実際に犠牲になった方の無念、家族の皆さんの悲しみは如何ばかりか。

思ったことが、即ち言うべきことではないはずです。

人に対する礼儀というものがあるでしょう。