一歩後退

K-1について続けて記事を書きましたが、いくつか事実誤認がありました。

権利や商標の動きとともに、誰が携わり、誰が係わらないのか、もう一つはっきりしません。

それらをきちんと把握できるまで、K-1について書くことは控えようと思います。

それに、K-1の名を冠していなければ価値がないというものではありません。

魔裟斗が支持されたのは、「自分自身が価値になる」という志がファンに伝わったからです。

ある作家が文学賞を受賞したとき、作家の名誉ではなく「その作家が受賞したのは賞の名誉」と評することがあります。

そういう選手をこそ、周囲の人間は育てようとします。期待を込めて。そして、スターが生まれるのです。

逆説的ですが、「K-1何するものぞ」という選手が新生K-1の象徴になることを楽しみにしています。